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東京地方裁判所 昭和25年(ワ)2087号 判決

原告 復興建築助成株式会社

被告 田辺肇

一、主  文

被告は原告に対して東京都中央区日本橋中洲七番地家屋番号八十八番鉄骨コンクリート三階建の三階第三百十二号室より退去してこれを明渡せ。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決並に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告は主文掲記の建物の所有者で昭和二十三年七月被告に対して、その三階第三百十二号室を賃料一箇月金六百円、毎月二十八日持参拂の約で賃貸したところ、被告は昭和二十三年十二月分以降の賃料を支拂わないので、原告は昭和二十五年二月十五日被告に対して内容証明郵便で、その到達の翌日から五日以内に昭和二十三年十二月分より昭和二十五年一月分までの延滞賃料合計八千四百円の支拂をなすべく、これを支拂わないときは、右賃貸借契約を解除する旨の催告並に條件附契約解除の意思表示をなし、右書面は同月十六日被告に到達したが、被告はその支拂をしなかつたので同月二十一日の経過とともに右賃貸借契約は解除された。よつて賃貸借契約終了を原因として右室の明渡しを求めるため本訴に及んだと述べ、被告の抗弁事実を否認し、本件アパートは、戰災建物であるから多少居住に不便を來たしているものとしても、被告は昭和二十三年五月頃原告に無断で從來居住の第三百十六号室より本件の室に移轉し、被告の要求でやむを得ずこれが事後承諾をしたものであるが、その際被告は雨漏り床落ちのあることを承知して異議なくその使用を始めたものであるから、修繕義務不履行を理由にして賃料支拂を拒むのは信義に背き正当な権利行使とはいえない。元來同年八月分以前の賃料については屡々催促して漸くその支拂を得たが、同年九月分以降は幾度催促しても、單に待つてくれと称するのみで支拂を得ず、(同年九月から十一月分迄は敷金で充当することにして、前記催告には請求していない。)賃料支拂の誠意全くなく、その後も賃料を提供して修繕を求めたことは一度もない。その後昭和二十四年九月に至り物價庁告示による賃料値上を要求した際、本件建物の三十六室の借室人より修繕を求められ、経費約十三万円を投じて同年末迄に所要の修繕をしたが、当時賃料不拂者は被告の外に一人もいなかつたのである。而してその際不誠意な被告を除外せず、被告居住の室の窓枠の修繕をなし雨漏を防ぎなお床板も修繕しようとしたが、被告は当時その妻が姙娠中であるとの理由で、後日修繕の申出をするからそれ迄修繕の施行を延期するよう申出があつたので、これを延期したところ、被告からは遂にその申出がなかつた。從つて仮に原告が契約解除の意思表示をした当時、原告に修繕義務があつたとしても、その以前一年有余に亘り理由なく賃料を支拂わず、且つ原告の修繕施行に協力しないで而も修繕義務不履行を理由とする同時履行の抗弁を主張するのは信頼関係を基調とする賃貸借契約における信義則に照し不当というの外ないと述べた。<立証省略>

被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因事実中、被告が原告から、その所有の建物の第三百十二号室をその主張の日時に、その主張のような約束(持参拂の点を除く)で賃借し、これに居住していること、賃料の支拂をしなかつたこと、被告主張の催告及び條件附契約解除の意思表示があつたことは何れも認めるが、その余の事実は否認する。本件の室については原告に修繕義務の不履行があるので、その履行と賃料支拂との同時履行を主張する。即ち室(疊敷でない)の床板代用のキルク製の板は大破して多数の大穴があき穴に足を踏み込むと怪我をする危險があつて、うかつに歩けない。現に原告の子供がそのため怪我をしたことがある。又窓の鉄枠が罹災後完全に修理せられたことがないので、降雨の都度漏水甚しく、そのため室の主要部分は使用できなくなるので、被告は原告に再三修繕を要求したが、原告に誠意なく、修繕をしないので賃料の支拂を拒絶したのである。賃料は昭和二十三年十二月以降数回提供し昭和二十五年二月十七、八日頃管理人佐藤よしに從前の賃料全額を提供した。從つて被告には賃料支拂の延滞はないから原告の解除権の行使は不適法である。なお三百十六号室から本件の室に移轉したのは予め原告の承諾を得ていたものであり、仮に事後承諾とするも修繕義務を免除する特約がないからその義務を免れる理由はないと述べた。<立証省略>

三、理  由

原告がその主張の建物の所有者で、三階第三百十二号室を昭和二十三年七月被告に賃料一箇月金六百円、毎月二十八日拂の約で賃貸し、被告が右室に居住していること、被告が同年十二月分以降の賃料の支拂をしていないこと、原告が昭和二十五年二月十五日附翌十六日到達の内容証明郵便で被告に対して書面到達の日から五日以内に昭和二十三年十二月分より昭和二十五年一月分までの右室の延滞賃料合計金八千四百円の支拂並にその支拂をしないときは右賃貸借を解除する旨の催告並に條件附解除の意思表示をしたことは当事者間に爭がない。而して被告が右賃料を貸主のところに持参して支拂う約束であることは証人佐藤よし、渥美文夫、田辺妙子の証言によつて認めることができる。被告は取立拂であると主張するけれども、これを認むべき証拠はなく、却つて右証人佐藤の証言によれば右建物の居住者において支拂期日に管理人のところに賃料を持参しない場合に管理人がその請求に行つたものであることが認められるから、被告の主張は理由がない。被告は原告に本件室の修繕義務不履行があるからその履行ある迄賃料の支拂を拒み得る、と同時履行の抗弁をするのでこの点を判断する。

被告の主張するところは雨漏と床落ちの二点である。檢証の結果によれば、本件の部屋は四疊と八疊位の廣さの部屋で疊敷でなく床面にはキルク製の板が床板の上に張つてあるが、これが四疊の方には入口の辺りに二箇所、八疊の方には寝台の置いてある床の部分を除いて九箇所ばかり大きいものは幅一尺長さ二尺位の、小さいものは足跡位で床板迄深さ五寸位の穴があいていて、その穴の附近はキルク板を支える板が弱いため歩行の都度低下し穴が拡大する危險がある。次に八疊の部屋の西南に面する硝子障子の窓の下辺に雨漏の踉跡が認められ、降雨の際、雨水が多少窓のすぐ下の壁から侵透して床に傳うものと推察せられる。而してこの窓の現況は、証人服部俊雄の証言によれば、本件建物は焼ビルをアパートに利用したもので鉄の窓枠がゆがんでいたため、その枠の隙間から雨水が侵入するので昭和二十四年暮頃一度その枠を修繕した結果であること、並に修繕する以前においても豪雨の場合は格別通常の降雨の際居住に差支える程度に雨水の侵入する状況ではなかつたことが認められる。証人田辺妙子は降雨の際には窓から雨が降り込み、雨滴が飛散して布団がビシヨ濡になり寝られない旨証言するけれども檢証の結果と右服部証人の証言とに対比し、豪雨の場合は格別通常の降雨の際にそのような状況になるとは思われないから証人田辺の右証言は信用することはできない。

右によれば床に関する限り賃貸人に修繕の義務があるように思われる。

ところで民法第六百六條に規定する賃貸人の修繕義務は修繕しなければ契約によつて定つた目的物の使用收益をすることができない状態又はこれをするのに差支のある状態が生じた場合に有償契約の性質上認められるのであるが、対價である賃料は地代家賃統制令によつて騰貴した修繕費用を計算の外に置かなければならない程度の低額に抑えられていたのであるから、修繕義務不履行を理由とする賃料支拂の同時履行の抗弁の適否を判断するにはこの点をも参酌すべきは多言を要しないであろう。そもそも権利の行使は信義に從つてこれをなすべきは民法第一條の明定するところであつて、同時履行の抗弁権も権利の行使である以上右規定の適用の外にあるものではないから、この観点より賃貸借契約を締結するに至つた事情とかその後の諸般の事情を考慮する必要がある。

成立に爭ない乙第一、二号証の記載と証人浅井玄哲、服部俊雄、鈴木敬一、芝四郎、田辺妙子(一部)佐藤よしの各証言を綜合すれば、被告は以前原告会社に勤務し、本件建物の第三百十六号室に居住していたが昭和二十三年五月頃本件の第三百十二号室が空いたので、原告の承諾を得ないで、この室に引き移り原告より事後承諾を得たものであること、同年八月頃原告会社より退社する迄は、賃料は月給より差し引かれていたが同年九月頃より賃料の支拂を怠り、管理人佐藤よしから屡々、その支拂の請求を受けても延期を求めてその支拂に應ぜず同年暮頃から佐藤において、請求しても被告より賃料の支拂を受ける見込がなかつたので、その催促をしなくなると共に被告もこれを放置して顧みなかつたこと、被告が本件の室に居住を初めた頃は前述の通り窓枠が不備であつたので、多少の雨の侵入があつたが、床には昭和二十四年暮頃迄損傷なく、その頃から傷み初めたものであること、同年九月頃物價庁告示による部屋代の値上が許されたので、その値上が問題になつた際、本件建物の居住者一同より原告に対して各室の整備補修の要求がなされ、同年暮頃原告は十三万円の費用を投じてその補修整備を実施したが、その際被告は妻が姙娠中であつたため、床の修繕は出産を終り被告より申出のある迄その実施を延期させたこと、居住者一同より右のような整備補修の要求がなされる迄に被告は原告に対して部屋の修繕の要求をしなかつたことを認めることができる。右認定に反する証人田辺妙子及び被告本人の各供述は信用するに足りない。

然らば窓の雨漏りについては、被告は契約当初より本件建物が焼ビルで窓の鉄枠がゆがんでいるため不備のあることは承知の上、自ら好んで轉室したものであり、且つこれを完全に整備することは費用の関係から容易に実施できない状況にあつたので、契約当事者の意思は窓の不備を不問にし、賃借人において、これに甘んじて賃貸借契約を結んだものと推認するのが至当であるから修繕しなかつたことを理由として賃料の支拂を拒むことは許されない。

次に床落ちについては、前記の通り現況では部屋の使用に甚しく支障を生じ賃貸人に修繕義務を認めるのが相当であるけれども、その破損は昭和二十四年暮頃より初まつたものであるから、その以前一年有余の賃料の支拂を拒否する理由とはならない。而して継続的な信頼関係を基礎とする賃貸借関係において賃借人が催促を受けながら理由なく一年以上も賃料の支拂を怠り、そのため、賃貸人の信頼を全く失つた場合に、床の破損(当初から、にわかに現況のように一時に破損したものとは経驗則上考えられない。然も前記の通り破損の初期に原告は修繕を申出たところ被告姙娠を理由に後に要求する迄延期を求め、その後その修繕の要求をしたことの主張並に立証はない。)を理由に爾後の賃料の支拂を拒否するというのは信義誠実の原則上到底正当な権利行使と認めることはできない。

右の次第で被告の同時履行の抗弁は理由がない。

なお被告は昭和二十三年十二月以降数回に賃料を提供し、又昭和二十五年二月十七日頃從前の賃料を提供した旨抗弁するけれども、この点に関する証人田辺妙子、被告本人の各供述は証人佐藤よしの証言と対比し信用するに足りない。他にこれを認むべき証拠がないから右抗弁も採用できない。

果して然らば、賃料不拂を理由とする原告の解除権の行使は適法であり、昭和二十五年二月二十一日の経過と共に、本件賃貸借契約は終了したものというべきである。從つて本件室の明渡しを求める原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九條を適用し、なお仮執行の宣言については、これを附けないのを相当と認めるからその宣言をしない。よつて主文の通り判決する。

(裁判官 西川美數)

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